2010年8月7日土曜日

一生忘れられない出来事

1985年8月12日 日航機123便が御巣鷹山に墜落

中学生になったばかりだった。
夏休み長野の実家へ帰省していた。
夕方近くに
「日航機が行方不明」
「長野県佐久市に墜落?」といったニュースが流れていた。

数時間後に
「御巣鷹山に墜落した模様」と判明するも
墜落かぁ・・・程度にしか、思っていなかった。
多くの人が亡くなる、命が無くなるという現実を捕えていなかった。

それから程なくして
小学3年生でクラスメートだった女の子が日航機123便に
乗っているかもしれないと連絡が回ってきた。

夜中だったと思う。
ニュース番組のテロップで、搭乗していた人々の名前が映し出されていた
おびただしい数だった。
その中に 彼女の名前はあった。
カタカナで表示されたその名前は無機質すぎて、
太陽のように明るかった彼女の名前とはとても思えなかった。

連絡があったとおり、彼女は乗っていた。
12歳。
亡くなられた520名のうちの1人。

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何年か経ち、あの事故のことも記憶から薄れ始めていた。
妻と一緒に夏季休暇を車で長野へ帰省した日のこと

渋滞を避けるために、普段帰省時に通らない道を
訳も分からずに走っていた。
気がつけば山を越える為の一本道となっていた。
どんどん山道を登っていくと、黒い服を着た人々が道の脇を歩いて登っていく。


その道の先には、大きな慰霊塔が立っていた。
沢山のろうそくが灯り、多くの人々が集まっていた。
御巣鷹山の事故現場だった。
そして8月12日だった。

亡くなった彼女に導かれてここに来たのだと思い
車を降りて慰霊塔へ。

亡くなられた方々の名前が記載された灯ろうがあり
そこに彼女の名前が確かに刻まれていた。

「私の事、わすれないでね。」
ということだったのか。
「私の分まで一生懸命生きてね」
ということだったのか。

あの日の不思議な体験とともに、彼女の事を忘れる事はないだろう。





2010年8月6日金曜日

Twitterの威力と語彙の豊かさと

1月のブログでTwitterについて書いたけど、あのときと変わった点を記録しておく
・Twitterやりはじめた。
・ほぼ毎日ツイートしている。
・ブログ更新が面倒くさく感じてきた。
かな。

Twitterは仕事の都合6月から始めた。
フォロワー数はそんなにないけど、会社アカウントのツイートもやってるので
よく頭が混乱する。
目標は会社の利益をあげることだからね。
Twitterが好きか?と聞かれたら 正直NO。

確かにTwitterの威力はすごい、体感してる。
仕事にも影響があるんだから間違いない。

でも、自分の子供には使わせたくない。
こんなものをコミュニケーションツールにするのは
なんかおかしい。
目から入って来る少ない情報を、他人メッセージが流れてくるものをみて
満足するなんて・・・
語彙の少ない子供たちが140文字で伝えられるものなんて
大してないはず。

俳句や短歌のように練られた世界観ではないから
当然語句も普段使いになるはず。
簡単なワードは、簡単な感情しか生み出さない。
そんな子供にはしたくない。

沢山本を読んで、沢山文章を書いて、何度も推敲して
声に出して読み上げて。五感をフルに使って感情を高めてほしい。
それが終わったら、ツイッターだってOK